13日夕方から降り始めた雪は一晩にしてプランターの上にこんもりと積っていて、積る時はシンシンと降るものですがこの夜は加えて風も強くて、朝店を開けると戸の前は吹き溜まり状態でした。
融雪装置のある大通りに雪はないものの舗道に沿った側溝は雪の壁で解けた雪が流れず、雪すかしをしている前を盛大な水しぶきをあげて車が走り去ります。
正月以来暖かい部屋に馴染んでいた私は、店に座って店番をする時間が短くなりこれではいけないと思い雪すかしをしていました。
テレビのインタビューを聞いていたら、朝・昼・晩と雪すかしをしていると云っていた人がいて感心しました。
家の前をと思っていても雪に境はなく、すかせばすかす程良いのは分かっていても、すかした雪が山の様に積み上げられ後日この山を崩して融かすのが又一仕事で、所詮は水になり流れてしまうものだが形の有る間は悩みの種だと云っていたら「この雪が金沢の美味しい水の源!」とお客様に改めて教えられました。。
南国の鹿児島・宮崎がかってない大雪だそうで車が何台も横滑りしているのを見ると、近年の暖冬で『表日本か!?』と思っていても12月初旬頃からスノータイヤに変えて雪に備えている金沢の人は雪国に住んでいる事を忘れてはいない様です。
成人式は早々と終わりましたが、数年前の様に15日が成人式なら今年は大雪の中だったでしょう。
昔は一月中頃と云えば雪が降り続くのは当たり前で、私の成人式の時も大雪で晴れ着を膝ぐらいまで捲りあげ裾除けを着けて雪道を歩いている姿が新聞に載せられた事を思い出します・・・
寒の入りから大寒をへて節分の寒明け過ぎて二月終わり頃まで、雪の中での生活が金沢の冬だったのです。
この寒い中、金沢のお寺では初お講があり当店でも毎年数軒のお寺からお供えの注文を頂いておりますが、お供えは鏡餅で正月の鏡餅に続いての餅の後はどう始末しているのかと心配してしまいます。
餅を配達した時、お講のお世話をする門徒や近所の方々が作られた赤飯を頂いてきたものですが、今年は餅米と小豆を持って注文にこられお世話をする方々も世代交代でお寺の運営も時代と共に変わってゆき、生活の中での人々のつながりと金沢らしさが少しずつ消えてゆく様で寂しさを感じています。。
店主は正月休み、続いての新年会と伸びきった気分を働きモードにと取り戻すべく、寒の冷たい水で餅米を研ぎ寒餅を作り、15日の鏡開き前から持ち込まれた搗き直し用の鏡餅を浸けています。
ポリバケツが幾つも並んだ数日後から、搗き直しの餅との格闘が始まります。。
雪が降る夜 障子戸越しの外は明るくロマン、隣の鼾さえ無きゃねぇ〜