OKAMIのぼやき

 

三代目の饅頭屋に嫁いで30数年、この中で結ばせて頂いた数々のご縁・・・
商売とはまるで縁のない家庭に育ち一つずつ教えられ今日が在る。
でも・・・これは?と云う思いがぼやきとなる。

『 OKAMI の 旅 〈 帰 国 編 〉・・・ 』

29日に娘は無事男子を出産、2日後には母子共に退院、その2日後の検査で退院時に心配されていた黄疸の数値が高いとの事で子供だけ再入院と慌ただしい日々の中、4月7日8日の小・中・高校の入学式の為に忙しい仕事が待つ日本へと、後ろ髪を引かれる思いで私は帰国の途に着いたのでした。   
      
 四月四日清明節と云って香港では祭日で休み〔清明節・・・24節気の一つで太陽の黄経が15度の時。春分後15日目、太陽暦の4月5日頃にあたり中国では一族揃って祖先の墓参りをする行事。〕香港での娘婿の休日は当地のカレンダーに沿って取られているらしい。昔の日本の祭日がそうだったのではと思われる24節気に由来するものが多いように思う。。(日本のカレンダーにも4月4日清明と記してあった)
 この日しるしばかりのお土産を買いに娘婿・孫娘と三人で、1Km程に渡ってブランド店が立ち並ぶ香港最大のショッピングロードへ出かけた。上階がホテルになっている建物も数多くあり、観光客・ブランド品買い求めの人達などで賑わっていた。入場制限をして店内へ招き入れるブランド店に長い行列を付いている人達も見られ、娘婿いわく「彼女連れて来てたら大変だったかも?」私も頷く。。
カジノ船   
 このロードの先端にビクトリアハーバーを横切り向こう岸に渡る船の乗船場があり、バスで海底トンネルを抜け当地に着いた私達は帰りは船で渡る事とした。  
そんなに広くは見えない船着き場に航海船の様な大型船が停泊しており娘婿に尋ねると『カジノ船』だろうとの事、香港での賭博は禁止されているので夜出港して禁止解除の海域にて一夜遊んで朝港に戻る・・・なんだか映画の中の話を聞いている様だった。

 翌日は私が帰った後暫くのまとめ買いにスーパーへ、入院している孫を抱きたくて病院へと精力的に動き回り、帰国後2〜3日の食事の補助にでもなればと2〜3品の保存食を作ったりバタバタと夜を迎え、朝の便の為早起きしなくてはと思い眠れないままに朝を迎えた。。 

空港  
 娘の心細そうな顔に心を残しながらも、娘婿と二人の孫が香港駅まで見送ってくれ搭乗手続きも済ませてもらい空港へと電車に乗り・・・後は搭乗するだけ!と思われたが!?
ここで香港最後の非常事態発生!! シャトルトレインに乗って指定のゲートへと着くと搭乗時間にはまだ早い為か閑散とした待合、2〜3人の人と待っていると搭乗受付の女性らしき人が来て何事か言っている「霧の為、用意した機器が届かず関空行きは1時間半遅れます!!」と云う事らしい。(思えばここ3〜4日香港は霧の日が多かった)横にいた紳士が「仕方ないなぁ〜。」と言うのを聞き『日本人だぁ〜。』とホッとした。
 出発までの時間を過ごす前に到着の遅れを日本で待つ店主に伝えてもらう為、娘宅に電話をと思うが公衆電話が何処にあるのやら?前回帰る時に娘婿が書いてくれた香港でかける時の電話番号は手帳に張って来ていたので、先の紳士に相談するとご自分の携帯でかけて下さり無事娘へ連絡!! 同胞の好か「時間が来るまでショピングを楽しんで下さい。」と言われて別れたこの紳士が神様のように思えた。。   

 娘婿から「何かの時の為に!」と渡されていた数百HKDの手持ちはあるが、空港内のブランド店には1桁から2桁上のHKDの値札が並ぶ所ばかりで見て回るだけの空しい時間・・・とある香港系の洋品店にて目についたTシャツ!手に取ると私に呼びかける声がする『私を日本に連れてって!!』と、そう云えば結構働いた今回は自分へのご褒美は買わなかったなぁ〜。。でも手持ちのHKDでは少し足りないと分かっていた。   
「空港で両替せんでもいいよ」と言っていた娘の言葉が頭の隅をよぎったが、今は円高!! レートを見ると心持得な様な気がする・・・福沢さんを一枚両替して買い求めた。。最後にして又々初体験!! 品物・HKD・円と未だに得をしたのか損をしたのか定かでは無いが、欲しいと思った服が手元にある事に満足している。。

その後搭乗時間にはまだ余裕はあるがブラブラしていてもと思い先ほどのゲートに戻ったが、待っている人の姿もまばらで不審に思いながら座っているとキャセイ航空の人らしき方が近づいて来て日本語で「関空行きの搭乗ゲートが変更となりました。」との知らせに再びエスカレーター乗り継いで最先端のゲートへと移動、広い空港内を疲れるほど歩いたが帰りのスチュワーデスは日本語の分かる人もいて無事関空へ・・・一時間半あまり出発が遅れた割には思ったより早く到着した様な気がした。事実予定していた”はるか”への乗り継ぎが駆け足だったが間に合って金沢へは予定時間に着く事が出来た。
(後で考えると、最初の到着予定が時差一時間を考えないでその後の電車の乗り継ぎを云っていた為の事と思われる。)

 珍しく金沢駅まで迎えに来てくれてた店主と二週間ぶりの再会!! 嬉しさよりも二週間の間の我が家の荒廃ぶりが気になったが、出発した時の状態で二週間何もせずに置いてくれていた様だ!? 
 
 留守の間忙しい思いをさせた姑や、東京から手伝いに帰って来てくれた二女、「手伝う事があるなら云えやな!」と云ってくれてた息子夫婦に心から感謝!!
こうして私の二週間の旅は終わりを告げた。。

 サンキューと少しの単語しか知らない私でも行ってきました!?第三講座を終わります・・・   

  

おでん屋・うどん屋・カレー屋・・・と食べる事には不自由しなかった様だけど、饅頭屋は一人では出来ないって事分かった!?


2008/4/16

高鼾の店主の寝顔を見ながら私はぼやく・・・

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