春のゴールデンウィークに対比して秋のシルバーウィークと云われるのか、敬老の日が含まれる事でシルバーと云われるのか、兎にも角にも大型連休で金沢の地にも多勢の人が訪れ、兼六園の周辺や東山(花街)界隈は連日賑わっていた様です。
街中や高速に至る道は車も渋滞していて、所用で駅西まで出かけた店主は帰りに小立野台地へ上がり、遠くが見通せるくらいの大通りを見てホッとしたとの事です。(店主いわく『安らぎの街、石引!』だそうです。)
それでも20日には地元の《御山まつり》が29回目の開催と云う事で、“石引の広見”には野菜市や飲食店のテントが並び行列がつき、舞台での中・高生のブラスバンドの演奏や小学生のソーラン・高校生チアリーダーの演舞を見る人達、各種ゲームにはしゃぐ子供達の声などで終日賑わっていました。
《御山まつり》とは
その昔「一向一揆」の政庁として小立野台地の突端に建立された御堂が《御山》と呼ばれた事(尾山御坊とも呼ばれた)と、金沢城の防備を強化する石垣を築く為小立野奥の戸室山から石を切り出し当地の道を修羅車に乗せ引っ張り、石引と云う名の謂れとなった仕事をイベントとして再現する事を重ね合わせ、街づくりの一環として誰でも参加出来る《まつり》とした地域のまつり。。
まつりに伴う神事として、小立野一帯の氏神様(金沢神社・上野八幡神社・石浦神社・猿丸神社・椿原天満宮)五社の五分霊を移した神輿を厄年の人達が担き、神主達と共に御払いを希望する家々を早朝から回ります。
当店も新装開店した年に御払いに来てもらい、お彼岸のおはぎ作りの最中で洗ってもカッパカッパに餅の付いた手で『御神酒』を頂いたものです。
店主が厄年の年には、夜中から丸餅やおはぎ作りに追われ一仕事終えグッタリしながらも夕方からの神輿担ぎに加わっていました。
毎年舞台の上では、最後の振る舞いとして厄年の人達による“餅まき”があり当地の2軒の生菓子店が交代で丸餅を作っていて、当店は30回となる来年作る事になっています。
昔ほど忙しくないとは云え彼岸の入り、祭り気分を味わったのは仕事を終えて店の品物も売り切れた午後からのひと時でした。。
店のケースの中も夏の生菓子から小豆餡で作られた生菓子が加わったものに変わりましたので、熱いお茶で一服のお供に如何でしょうか・・・
忙しい中、仕事して神輿担いでと馬力があったもんやねぇ〜