OKAMIのぼやき

三代目の饅頭屋に嫁いで30数年、この中で結ばせて頂いた数々のご縁・・・
商売とはまるで縁のない家庭に育ち一つずつ教えられ今日が在る。
でも・・・これは?と云う思いがぼやきとなる。

『ま ゆ 玉 っ て・・・?』

先日の新聞に某菓子店で正月の縁起物「まゆ玉」作りが行われている記事が載っていた。この店の「まゆ玉」は、細かく刻んだ餅を金型に流し込み赤・緑・黄色に着色したもの(福梅の皮の様なもの)と鯛・恵比寿・布袋などの飾りを一緒に柳の枝に結び付けるものだと云う。新春の床の間や店先を飾るものとして求められている様だ。

金沢の餅屋では、同じ「まゆ玉」でも餅で造る。大きいものは白餅3升・赤餅2升で、柳や木蓮の枝ぶりの良いのを選び枝の根元の方に白餅で大きなまゆ玉を巻き付けて造り、赤餅を長いひも状に伸ばしたもので[のし]を造りまゆ玉の上に形良くのせ、枝には赤・白餅の小さなまゆ玉を巻き付け、板の上に一日置き固めて仕上げる。
[のし]を造るのは餅が冷める前に組まなければならず「まゆ玉」一つ仕上げるにはかなりの熟練が必要とされ当店では店主も姑に敵わない。 まゆ玉

「まゆ玉」は嫁いだ娘に女の子が生まれた年の暮に、お里から正月の進物として婚家へ贈られ、皆で子供の健やかな成長を祈った。
   
男の子が生まれた年には「きねまき」(軍配)を贈る。
「きねまき」は大きなものは白餅5升・赤餅2升で、手首ぐらいの太さの棒に白餅で軍配の形に巻き付け、その上に[のし]に組んだ赤餅をくっつけて上の方に太陽と三日月を型抜きした赤餅を付け、後はまゆ玉と同様に仕上げる。   
出来上がった餅を、大切そうに娘さんの元に持って行かれるお客様の笑顔が忘れられない。暮れのこんな情景が当店で見られたのも数年前の事・・・ きねまき

写真は店主が孫の為に小さな「まゆ玉」を三年前に「きねまき」を二年前に造った時のもので、これを最後に造る機会はなくなった。

我が子の時には、お客様からの注文がいくつか重なっていたり餅搗きの忙しさの中気も付かずに過ごしていた(私の里からの注文もなかった?)が、娘は結婚した時からこの餅を見て〈子供が出来た時にはぜひ造ってほしい!〉と思っていた様だった。   
   
昔は、家の大黒柱に「まゆ玉」や「きねまき」をくくり付け、年賀に来られた親戚の人達と赤ちゃんを囲んで話がはずんだものでしょう。
当節、子供を思う気持ちは変わらないものの正月の過ごし方も色々で、ましてこんな餅が有ることさえ知っている人は少なくなったのではと思う。
伝承文化とは生活の中に息づくもので、私もこの餅は姑から技術を継承出来る事なく終わるのではと杞憂している。

日本の住宅から大黒柱が見えなくなったのと共に『一家の大黒柱』も影が薄くなり、いずれはこんな言葉も死語となるのかもねぇ〜。

2007/12/4   

高鼾の店主の寝顔を見ながら私はぼやく・・・

 

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