10月になり急に寒い日が続き、カーペットを冬物に変えたり厚手の掛布団を出したりと、二十四節気の『寒露』を前に深まりゆく秋を感じる今日この頃です。
今、当店の様な生菓子製造販売の店が加盟している金沢生菓子専門店会では、10月5日〜11日まで「五色生菓子キャンペーン」を行っております。
金沢の祝い事に欠かせない「五色生菓子」が、変わりゆく生活文化の流れの中で用いられる事も減少する傾向にあるのを見て『何とか伝承してゆかねば』と役員の方達が、1601年9月末に珠姫(前田利常公夫人 天徳院)が江戸より加賀へ輿入れした時より410年との史実に基すくこの時機、加盟店でのぼり旗を掲揚し一週間五色生菓子を販売するキャンペーンを企画された様です。
のぼり旗を立てながら五色生菓子誕生の話を店主に聞き本当に?との思いで、昭和45年に金沢生菓子専門店会二十周年記念として会員に配られた【生菓子屋読本】を読みました。
『五色生菓子の元祖は菓子屋吉蔵と云われ、家柄町人として苗字帯刀を許され“樫田氏”と称し、利長公時代に生菓子を以って御用御菓子所を命じられ後に「五色生菓子」を考案す。
慶長五年、利常公夫人天徳院(珠姫)が輿入れの時「五色生菓子」の御用命を仰せ付けられこれが「金沢五色生菓子」の始めとなった。
同家は歴代吉蔵を襲名する旧家で、初代吉蔵が考案した「五色生菓子」が代表銘菓であり、又総本舗だったので博労町にあった店の店頭には蒸籠の箱が並べてあった。
明治43年頃には金沢菓子組合長をも務めたものの、無情な世の中の変遷で明治末期頃に三百数十年の伝統ある古い暖簾と大看板を下ろした。』
と、五色生菓子の元祖菓子屋吉蔵由緒が書かれていました。
いつの時代も世の中の変遷は多くの人達の人生をも変えて行くようですが、その中で伝承し続けられてきた「五色生菓子」を何とか次の世にも残して行きたいものです。。
読本の中に舅の話も、誰もが付いて行きたくなる人だったそう・・・貴方は!?