去る8月14日夕暮れ時、東茶屋街近くの料亭「金城楼」の大広間舞台上、笛の音が響き太鼓の囃子に乗り宝生流“猩々”の謡が流れる中、百十数個の瞳が見つめる先にシテを謡い仕舞(もどき?)を舞う私がいた・・・
事の起こりは、6月初めに遡り【還暦記念の同窓会】をと集った中学時代の同級生幹事数人。。
3年前の同窓会の時に幹事代表だったN君が今回も代表と云う事で、『又もや何かさせられる!』との危機感の中やはり言い出されたのが「今回は還暦と云う事で、能の世界では還暦の時“猩々”の演目で謡と舞をするのでぜひやろう!!」皆「エェ〜!」とは言ったものの、本業以上に能世界に精通しているN君の熱弁に押されいつの間にか幹事によるオープニングセレモニーとなり、「遠来の友の為に、日本初の世界遺産と成った謡を聞かせる事は素晴らしい!」に頷いてしまった私達幹事一同。。
3年前の同窓会で“羽衣”の謡と舞を披露して、出席した同窓生達に絶賛された事もあり苦労が報われる事を一度知っている皆は、練習にかける時間と労苦は思うものの再度挑戦する事を決めた。
前回は仕舞をYさんが舞い、皆に「東の芸者さんかと思った!」と褒めそやされていた記憶が蘇り、当然今回も彼女が舞うものと思っていた。
ところがYさんは今回事情があって無理、KさんMさんは身体の都合が悪いとの事で身体だけは丈夫そうに見える私にと・・・断る間も無くN君が発表して週1回Mさん宅での練習が予定され、同窓会案内状発送準備を含め8月14日へ向け歩み始めた。。
それからの2ヶ月の間に私的事情としては、6月中旬から3歳の孫息子が滞在して練習1〜2回欠席、7月中旬から年1回の一時帰国で娘と孫二人が加わり、N君が見たら良いと勧めてくれた“猩々”の能舞台も観ず、一度生で聞いたら良いと誘われた笛・太鼓の音合わせにも立ち会えず不安と焦りが大きくなる中、日々だけが流れ去る。
この私の不安定さは、家の事は滞り無くしていたと思いながらも家族の中で不協和音を呼び迷惑をかけた・・・
こんな私の練習にずっと付き合ってくれたKさんには、不安を慰められ励まされどんなに心強かった事か。
店主も、終盤には「皆に迷惑かけれんやろう!」と渋々ながらも理解してくれ、細切れ練習・・・
しかし、さすが還暦のロートル化した頭に新しい事柄はすんなりと吸収されない。その他諸々のトラブル続きで自信喪失状態。。
「出来ないかも!?」と云う私の言葉にも聞く耳を持たず厳しく指導してくれたN君も、今にして思えば不安だっただろう。
2週間前の練習で、「地謡はいいけど仕舞がねぇ〜。」と言われダメ出しされてる私を不安気に見て、励ましてくれた幹事達。
娘達が香港へ帰った10日から、“猩々”が夢に出るほどイメージとテープを聞く事に没頭して迎えた本番当日!
最終舞台打ち合わせでも、ダメ出しされながら頭の中では出だしの「老いせぬやぁ〜、老いせぬやぁ〜」が繰り返し流れ、動悸が速くなったり遅くなったりの心臓を宥めながらの本番・・・女は度胸!!
舞台を降りて、N君はじめKさんや幹事の皆のお陰で曲がりなりにもやり遂げられた充実感と、記念写真の真ん中に座らせて頂き記憶に残る還暦の年となった事に少しハイになった私がいました。。
所詮宴席での出し物!!と思ってるだろうけど、あの雰囲気を見せてあげたかったよぉ〜。