OKAMIのぼやき

 

三代目の饅頭屋に嫁いで30数年、この中で結ばせて頂いた数々のご縁・・・
商売とはまるで縁のない家庭に育ち一つずつ教えられ今日が在る。
でも・・・これは?と云う思いがぼやきとなる。

『 饅 頭 屋 の 夏 ・・・ 』

今年の暑かった夏も、寝苦しかった夜を忘れ去ったかのように朝夕涼風がそよぎ過ごしやすい日々となってきました。。

 毎年、夏の間は開店休業状態の店も今年は特にひどく9月に入っても店先を歩く人達は数える程で淋しい限りです。
饅頭屋の夏は暑くて暇で長〜い!     
 
 昔から、饅頭屋の店主は山の好きな人が多い様です。もっとも〈春や秋の山の御馳走を見つける事が得意〉としている人が多く、当店の店主の様に登る為だけに山へ出かける人は少ない様に思われます。 
店主は山登りが好きで、若い頃から夏の暇な間はもっぱら登山をしていた様です。一人での登山・亡くなった父や弟との登山・近所の友達との登山と、夏山限定でも石川・富山・新潟・長野と随分登った様です。。 

 私が嫁ぐ数年前からは、長野県大町にある北アルプスでも端の方に位置する“餓鬼岳”へは毎年数回登っていました。 
夜中にバイクで長野まで走り、朝から登り山小屋で一泊して下山、バイクで帰り仕事と云う事も数回あった様です。
 私が嫁いでからも夏になると“餓鬼岳”へ数回、7月生まれの長女の出産の時も初産である私の枕元で「山登る予定があるし、早く・・・」と云っていた程店主にとって夏イコール山でした。  
 
 店主の登山姿と云えば、平地にいる時と変わらないシャツ姿で足元は長靴か地下足袋、背中には今はリュックになりましたが昔は手作りの背負子、かっぱ・軍手・懐中電灯は持ちますが非常食らしきものも無く、酒を一升(瓶かパック)一食6〜8個のおにぎりを二食分・・・これで遭難となれば世間の皆様に非難される事間違いなし!
“餓鬼岳”の山頂は、店主の持ち込んだ酒の瓶で標高が高くなった!?との噂もある・・・?
  
 私も勿論、嫁いで数年はあちこちの山へと連れ回されましたが、店主は他の登山者の人達に営林署の職員と間違われて色々聞かれている事が度々ありました。長野へ入ると長野弁になり地元の人になりきっている様子・・・
 十数年前には、数年にわたって石引界隈の人達が次々と“餓鬼岳”へ店主と共に登山、子供達も数回お供をさせられてます。。

 商店街の長を務める様になってからは夏のイベントの為、それに加えてここ1〜2年は孫達の滞在と本当の登山シーズンには登れず、閉山間近の秋に登るのが続いていますが、氷室が終わると本屋へ行って「今年こそはあの山へ!この山へ! 」と山の本を見てソワソワしているのは相も変わらず、でも身体が何時までついて行くやら?
 店主の夏は山に始まり山で終わる・・・

  

登りたい山はまだまだ在ると思うけど、無くなったのは体力?気力?筋力?金力??


2008/9/14

高鼾の店主の寝顔を見ながら私はぼやく・・・

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