OKAMIのぼやき

三代目の饅頭屋に嫁いで30数年、この中で結ばせて頂いた数々のご縁・・・
商売とはまるで縁のない家庭に育ち一つずつ教えられ今日が在る。
でも・・・これは?と云う思いがぼやきとなる。

『大 切 な 事 は・・・?』

餅屋へ嫁ぎ最初のカルチュアショックは一軒の洋品店から出た時の事だった、何も買わずに出て来た私に店先で待っていた店主から非難の言葉!「家の店へいらした人が何も買わずに出て行った時どう思うか?商売しとる者は商売屋の事考えろ!」と・・・。    
(宝石店へ連れ込んだらこの人はどうして出て来るだろう?)試してみようかぁ、と思うほどの云われ様だった。    
それ以来買物は一人でする事とした。でも姑に聞いても買う物を決めていない時には個店には入りにくい・・・。消費者の目だけだった私が、両方への目を開いた出来事だった。
   
 その後、市の商店街連盟などが主催の勉強会などに出席して聞く話では「商売をする時にはお客様の立場に立って考えて下さい。」  「クレームは大切なお客様からの愛のメッセージ!」と・・・でも店主は「言われる者の身になれ!」    
消費者の目の時の私は、言うべきか言わざるべきか? 商売を営む人は常に両者の立場を行ったり来たりでは?(自分が言ってもらって良かったと思える事だけ言おう!)との結論。 一貫して商売屋の立場を崩さない店主は、スーパーでは一番手前に並べられた品を取り、一杯のお冷のサービスにも「あんやと」(有難う)と頭を下げる。年を重ねた私は両者の立場を都合良く使い分ける。
 自分の美味しいと思う物以外造らない店主は、苺大福が若い人達を中心に好まれた時も「苺は苺、餅は餅で食べて美味いもの!」と言って頑として造らなかった。「昔から造られ今残っているのは本物や!」これは職人気質とでも云うべきか。一時のブームが去った苺大福を思うと満更ぜたらめを言っている訳でもないか・・・(ん?洗脳されたか)

最近の食品をめぐる色々な事は、あまりにも保存方法が充実して生モノが生モノとしての認識に欠けてきたのも一因かとも思う。売る方は勿論の事、お客様も。本物の餅は一日で硬くなる物、その日の内に切ってしまうなど昔の人が当然としていた事が、あまり伝えられていないと思うのは私だけだろうか?  
「じぃ〜じのついたおもちおいし〜い!」と孫に言われ満足し、自分の美味しいと思う物しか造らないというのは店主の理念なのかも・・・    
    少々 嗜好にかたよりがあるのは問題だが! 

2007/12/4   

高鼾の店主の寝顔を見ながら私はぼやく・・・

 

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