“暑さ寒さも彼岸まで...”の言葉通り2〜3日前から夜中に薄ら寒さで目覚める様な日々が続き、夏の間はタオルケットもかけないで寝ていた店主も朝方には包まって寝ていました。(私は?勿論布団!)
22日の“彼岸中日のおはぎ作り”から23日に『御山まつり』の紅白丸餅と久々に早起き連日で店主はお疲れの様です。
地元小立野地区で続いてきた『御山まつり』も今年は32回を迎え、地区にある2軒の饅頭屋が交互に作っている《厄祓い餅まき》に使う紅白餅の作り番にあたり注文を頂いたものです。
文禄元年、前田利家の命を受けた利長が金沢城の石垣を築く為に戸室山から石を切り出し三里(12km)の道程を数百人の人夫を使い石を曳き、町名の由来となった“大石曳き”がメインのまつりで、昭和60年『第5回御山まつり』から地域の安全と繁栄を願い“御山神輿”が創設され、金沢神社・椿原天満宮・上野八幡神社・猿丸神社・石浦神社と五社の御分霊を乗せ宮司が同行して氏子地域を廻る全国でも珍しい祭りです。
前夜祭で“御山神輿”に五社の御分霊を移された神輿を担いで巡行に朝早く出発するので、巡行先へ渡す紅白餅2個包みを金沢神社へ・・・
夕方から行われる、校下婦人部が中心に地元銀行や金沢大学の学生も参加の踊り流しや神輿の練り歩きが“石引の広見”に集まり、舞台を設けての《合同祈願》に今年は山野市長も臨席され最後に神輿担ぎ手による餅まき(餅渡し)で当店の餅が集まった人達に配られました。
朝の小雨で心配された天候も、踊り流しの時一時霧雨が降ったものの一番心配していた《合同祈願》餅まきの時には上がってホッとしました。
『石引の広見』で開かれた屋台や、舞台で演じるのを見る人で久しぶりに終日の賑わいでした。。
貴方も厄で神輿を担いだ、そんな昔もあったわねぇ〜