桜も満開を迎えた頃から若葉が繁り花が咲き乱れる季節を前に、街ぐるみ商店街などの新聞でも宣伝される”まつり”があちらこちらで催されています。
おおぜいの人達で賑わう”まつり”の陰で、昔から祭祀として執り行われている人々が暮らす土地の鎮守の神様(氏神)の”春祭り”も次々と始まっています。。
当店では四月中頃から春祭りの赤飯を注文するお客様の電話が鳴り出す・・・当店が所在する地域では、野師が軒を連ねる主な春祭りは椿原天満宮4月24日〜26日・石浦神社5月1日〜3日・上野八幡神社5月14日〜16日とそれぞれ3日間(先祭り・本祭り・裏祭り)あり、その他にも地域ごとに幾つもの神社の春祭りが行われている。幸いな事に注文も分散され、当店の様に一時仕事を生業としている店では忙しさも分散され家族だけでも注文に応じる事が出来る。。
一昔前は本祭り一日だけで一石以上の赤飯の注文を聞き、前日から小豆を炊きゆで汁を取り冷ました汁に洗った餅米を漬けてと夜遅くまで仕事をして、当日は朝早くから蒸し上げた赤飯をおひつに入れ配達・・・帰って又蒸し上げてと店主は一人三役ぐらいをこなし、私も店番の合間にバイクで配達と忙しい思いをしたものです。
今はおひつで配達と云う程の注文も少なくなり、予想のつかない店売りの方が主となって店主は前日に漬ける餅米の量の判断に迷う有り様となっています。。
祭りに親戚が集まったり赤飯などを配ると云う事も少なくなったのか・・・私達の子供の頃には集まった大人達に”飴かい銭”を貰い祭りに走ったものだ。近くを見回しても子供の姿が少なくなった今どんな風に祭りを迎えているのか分からないが、先日の本祭りに神社近くを通った時、鳥居横にズラ〜と並んだ自転車を見ると子供達の世界は昔も今もあまり変わっていないのではと思ったりもする。。
当店の子供達は、商売柄幾つもの神社の祭りが分かって行きたがり店主も忙しい中まめに連れて出かけていた。
店主や私が子供の頃には祭りと云えば子供達のしめ縄張りから始まった。中学生のお兄さんお姉さんが各家の軒先に張った縄に下から小学生の子供達がしめ飾りを手渡しゾロゾロ連なって廻り、各家々から頂いた”おてま”を皆で分け合う・・・中学生が采配を振るうのを見て小さい子達は『早く中学生になって皆に配る役になりたい!』と思っていたものだ。
氏神様の祭りの手伝いと云う氏子としての地域の世話を通して、子供達は社会生活のルールを自然に学んでいったのではないかと思っている。
子供の数も減り、しめ縄も幕に変わり、その幕もいつの間にか軒先に見られなくなって、祭りの数日前に神社から配られる奉納袋も家の片隅で忘れ去られ、祭りが済んでから気付いたと云う人の話を聞く事も最近とみに多くなった様に思う。。
かく云う私も、赤飯を造っているから分かり神棚に供えているので仕事を離れていたら忘れていたかもしれない!?
氏神にこだわった店主は式だけは椿原天満宮ですると云って、冬の凍りついた天神さんの急な坂をタクシーが滑り戻らないでと皆が祈る様な思いで神社に着き、花嫁姿の抜き襟が冷え切ってしまう程寒い神殿で結婚式を挙げた・・・
その時のトラウマで30数年の間幾度も滑り戻りそうになりながら今日がある・・氏神さんは全て知ってる!!