OKAMIのぼやき

 

三代目の饅頭屋に嫁いで40年を過ぎ、この中で結ばせて頂いた数々のご縁・・・
商売とはまるで縁のない家庭に育ち一つずつ教えられ今日が在る。
でも・・・これは?と云う思いがぼやきとなる。

御 山 ま つ り

 

天文15年(1546)秋、一向一揆が成したる共和国「百姓の持ちたる国」の政庁として、小立野台地の突端に金沢御堂が建立された。

 門徒たちがこれを尊んで「御山」と呼んだ。これにちなんだ小立野の地域の祭り、街づくりの一環として39年前に挙行された「御山まつり」。 御山まつり 御山まつり
 
 昭和60年(1985)、第五回御山まつりから地域の安全と繁栄を願い創設された「御山神輿」。

 金沢神社、椿原天満宮、上野八幡神社、猿丸神社、石浦神社、五社の御分霊を乗せ、宮司が同行して氏子の地域を神輿が廻る。

 今年も9月22日に行われた御山まつりで、当店の跡取り息子が本厄で神輿を担ぎ、一年生になった孫息子が「大石曳き」の綱を持って数メートル歩いた。 御山まつり 御山まつり

 文禄元年(1592)に戸室山から石を切り出し金沢城まで、約三里(12km)の道のりを数百人の人夫が石垣を築くため石を曳き、石引町と名前の由来ともなったのを再現した「大石曳き」。

 再現は数十人が数百メートル曳くささやかなものだが、石を乗せた台の下に数本の丸太を置き、順繰りに転がしながら運ぶ当時の運搬で。

 最後に神輿を担いだ人たちでまかれる厄払いの紅白餅は、地域で商う二軒の餅屋が交代で作り、当店は偶数回に担当なので今回は餅を拾いに行った。

 町会代表の店主や、神輿を担いだ息子がお祓いを受け、孫息子と一緒に厄払いの餅を拾って、我が家と地域の繁栄を祈る。。


孫も石を曳いて、この地の一員となったねぇ〜


2019/9/25

高鼾の店主の寝顔を見ながら私はぼやく・・・

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